「とうとうみ」と「みかわ」のお話
「ふぐ」は外から鮫皮→皮→とうとうみ→身皮→身の順番で構成されている。身皮を三河に例え、その隣にある皮膜を「とうとうみ=遠江」と洒落から来た名称で全国的に呼んでいる。また、『天然とらふぐ』の白身は、「高タンパク・低脂肪」、そして皮にはコラーゲンも豊富で肌の老化防止や抗がん作用にも効果がある健康・美容にも最適な食材です。
「ひれ酒」のお話
ひれ酒は、日本酒に含まれる「コハク酸」と、ひれに含まれる「イノシン酸」の相性が抜群だから美味しい。
- ひれ酒の美味しい飲み方 -
- 1:乾燥させたひれをキツネ色になるまであぶる
- 2:80℃の熱燗をひれの入った容器に注ぐ
- 3:蓋をして、マッチでアルコールを飛ばす
- ※加盟ホテル売店等でご購入いただけます。
「白子」のお話
ふぐには雄・雌、そして両性があり、オスの精巣を白子という。なかでもトラフグの白子は「白いダイヤ」とも呼ばれ、ほかのどの食べ物と異なった、その味と食感は、古くから多くの美食家たちを「とりこ」にしています。
いつ頃から「ふぐ」を食べるようになったの?
A.縄文時代。
貝塚から「ふぐ」の歯や骨が見つかっている。
日本で初めて
「ふぐ禁止令」を出したのは?
A.豊臣秀吉
安土桃山時代。時の関白・豊臣秀吉の朝鮮出兵のおり、下関に集結した武士達が「ふぐ」を食べ、その多くがふぐ中毒で死亡。立腹した秀吉が、日本で最初に「ふぐ禁止令」を出しました。その後、江戸時代に入り、あちこちの藩でも禁止令が出された。特に黒田藩や長州藩では「ふぐ」を食べ、中毒死した場合、お家断絶という厳しい厳罰が与えられた。
「ふぐ禁令」をくぐって
広く食用された「ふぐ」
江戸時代、武士階級で禁止の「ふぐ」も一般庶民の間では、広く食用されていた。
-ふぐを詠った俳句-
- あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁 松尾 芭蕉
- 五十にて河豚の味を知る夜かな 小林 一茶
松尾芭蕉の句にもあるように、毒は怖いが一度は食べたいのが「ふぐ」と言うのが伝わってくる。また、小林一茶の句は50歳にして初めてふぐの味を知った喜びが表現されている。実は、一茶は50歳過ぎに結婚して3男1女を授かっている。まさにふぐパワー!?
最初に「ふぐ刺」を食べたのは?
A. 高杉 晋作
江戸時代まで「ふぐ」というと、一般的に「ふぐ鍋」の事で最初に刺身を食べたのは、案外歴史は浅く、幕末藩士「高杉 晋作」と言われている。
「ふぐ禁止令」を解いたのは?
A. 伊藤博文
明治に入り、伊藤博文が下関・春帆楼に来た時の事。あいにくのしけで、その日の漁がなく、女将がその旨を伝えると、「せっかく下関に来て、魚がないとは・・・」と嘆く博文に、女将はお手討ち覚悟で禁令の「ふぐ」を出した。すると「こんな旨いものを食べない法はない」と博文はすぐに山口県での禁止令を解かせた。しかし、ふぐ禁止令の解禁は山口県だけで、その後合法的に「ふぐ」を食べるには戦後を待ってからとなりました。 ※山口県での解禁県1号が、下関=ふぐになった由縁でもあると言われている。