
変化に富んだユニークな形をしている浜名湖は、太平洋沿岸の日本のほぼ真ん中に位置しており、風光明媚でしかも交通の便が非常に良ことで知られている。また、リゾート観光地として、またマリンスポーツの拠点として年間を通してにぎわいをみせている。気候も温暖で自然の恵みも大変豊かである。特に、花の生産、多種にわたる魚介類の生息そして養殖、その他食材が豊富なところも特徴といえるだろう。
浜名湖の面積は70平方キロメートルあり全国で第十位、一周の長さは141kで第三位。水深は平均5m(最深部16.6m)。

1万年前の氷河期の終わり頃、小さな内浦であった浜名湖は、地球の温暖化により、海面が5メートルあまり上昇し、現在の浜名湖の原型となる内湾となった。そして、長い年月を経て海面が上がったり下がったりと繰り返されながら、湾は、海水からその海水と川の水が混じり合う汽水湖が生まれ、次第に淡水へと変化していった。やがて、1498年(明応7)の大地震と大津波によって、それまで地続きだった砂州が決壊した。そして浜名湖と太平洋はつながり、再び淡水湖から現在の、海水と淡水が混ざり合う汽水湖(きすいこ)となったのである。ちなみに、大地震によって決壊された場所は、「今切口」とよばれており、現在は約200mほどの幅となっている。

「ダイダラボッチ」ってきいたことありますか?宮崎駿監督の映画「もののけ姫」にもその名が登場するのでご存知の方もいらっしゃると思います。
ダイダラボッチは伝説の巨人です(一部では天狗との伝説も)。関東・中部地方を中心として全国各地に大きな山をつくったり、海を埋め立てたり、足跡が池や沼として残ったりといろいろなお話が残っています。浜名湖もこのダイダラボッチによってつくられたという伝説があります。
その昔ダイダラボッチが一夜のうちに富士山をつくった時のこと、大量の土をせっせと運んでいる途中よろけて手をついた跡が浜名湖というわけです。そう言われてみるとほら、浜名湖って手のかたちに似てますよね。浜名湖に浮かぶ唯一の島「礫島(つぶてじま)」は、ダイダラボッチがお弁当を食べている際に中にまじっていた小石を捨てたものだとか。ちなみに大量の土を採った場所が琵琶湖です。いやはや、何ともスケールの大きなお話です
(^_^; 。みなさんも浜名湖に遊びに来た際には、ダイダラボッチの手がいかに大きかったかちょっと想像してみて下さい。
遠鉄ホテル エンパイアにある「ダイダラボッチの湯」の名前も、この伝説から付けれています。伝説の巨人に思いを馳せながら、湯〜っくりと9種類のお風呂をお楽しみ下さい!

戦国時代より江戸時代にかけて、舘山周辺にはなんと「堀江城」という城郭がありました。現在、浜名湖パルパル・大観覧車がある丘陵には「お城」があり、ホテル九重の敷地までが城郭でした。さらに、九重前の御陣山には、家来がつめていた陣屋がありました。
さて、時はさかのぼり、勢力が激しく変わる戦国時代、1569年という早い時期に、9代当主 大沢基胤(もとたね)は、今川家の勢力下より抜け、徳川家康と和睦を結び、後には徳川幕府の「高家」に列されました。中でも吉良家等と並ぶ1、2を争う位の高い名家でした。また、徳川家康公の嫡男 信康公が二俣城で自害して果てる直前に、ここ堀江城に幽閉されていました。1579年(天正7年)9月15日、21年という生涯を閉じる信康は、堀江城からこの浜名湖(内浦湾)をどのような思いでみつめていたことでしょう。戦国時代の織田家、武田家の狭間で苦しい立場にあった徳川家。その苦渋と悲哀にまつわるドラマがここにあったのです。
NHKの大河ドラマ「徳川家康」の原作となった、山岡荘八「徳川家康」七巻・新田次郎「武田勝頼」空の巻(三巻)に、堀江上の名が登場します。
ホテル九重の玄関脇には、当時の堀江城奥御殿の鬼瓦が飾られています。江戸時代後期のものではありますが、現在でも、かつての城の面影に思いはせるには十分の風格を整えています。城跡に佇む歴史あるホテル九重で、当時の風格ある城を心に思い浮かべながら、当主になったつもりで優雅な一時を過ごすのもよいかもしれませんね。